2008-02-08 作成
国道340号線 雄鹿戸隧道(岩手県)
宮古市と岩泉町の境に位置する押角峠に岩手県屈指の心霊トンネルがある。
このトンネルには色々ないわくがあり
私もネットが普及する以前より聞いた事がある
1、第二次世界大戦中に大陸の方より連れて来られた人々により強制労働で掘られた
2、工事の際、多大な犠牲者が出てトンネル入り口に慰霊碑を立てその霊を慰めた
3、犠牲者たちはそのままトンネルの壁に人柱として塗り込められ
拡張工事の際に骨が出てきた
4、トンネル内で車を止めクラクションを鳴らすと天井から人が降ってくる
果たして、それらの話は本当だろうか?
今回は「心霊スポット」としてのレッテルを貼られたトンネルの汚名返上レポである。

まずはこのトンネルの歴史を紹介しよう。
国道340号線雄鹿戸隧道は府縣道岩泉宮古線の線形改良の為に
昭和8年10月12日に起工し、総工費28万円(当時)で
昭和10年5月16日に竣工したものである。
ここで噂その1である「大戦中に強制労働で・・」のつじつまが合わなくなってくる。
一般に言う大陸の人の強制労働は昭和13年制定の国家総動員法が根拠であり
昭和10年開通の同隧道では、朝鮮人労働者は居た可能性こそあるが
強制労働ではなく雇用による一般労働者として工事に従事していたはずである
また、一般に言う所の「大戦中の強制労働」は主に軍需産業である鉱山や製鉄所
または軍事に直接関係のある主要道路などがその対象となり
村落間を結ぶ為のいち主要道であるこの隧道にわざわざ強制労働者を使う理由が無い。
(但し平行するJR岩泉線は、元々が岩泉に産ずる耐火粘土を釜石製鉄所へ運ぶための
準軍事路線であり、同線押角トンネルの貫通は急務であった。
こちらの方が年代的や前途理由による強制労働の可能性があり、もしかしたら
このトンネル工事の話が時を経る毎に道路隧道と混同され、見た目の威圧感や古さなどから
道路隧道に強制労働が使われたと伝わった可能性もある)

隧道入り口には、比較的近年に設置された石塔がある
これは、女啄木とも言われた歌人、西塔幸子が昭和2年3月に転任命令を受け
二升石小学校へ赴任する際に通った押角峠のあまりの険しさを歌ったものである。
冬の峠道は馬車も通れず、荷を馬の背に雪を掻き分け集落間の通行は難を極めた。
ましてやこの峠は、岩泉地区と沿岸の宮古を結ぶ重要な路線であり
峠の改良は住民の悲願でもあった。

同じく隧道入り口に立つ竣工日、施工者名を記した木標
「雄鹿戸隧道 昭和10年開通 施工 工定組 工藤定次」
なおこの隧道の施工者である「工定組」という会社は現在は存在していない
しかし岩泉町の横屋建設株式会社という総合建築業者が工定組の血を引いて
今も現存している。

坑門付近の道ばたには折れた石碑が修復されて残っている
うわさその2の「慰霊碑」は後述の石碑なのだが、一部の噂では
この石碑を慰霊碑としている物もある。
この石碑の真相は「開通記念碑」であり、書き込まれている内容は
この地域はいかに難所だったか、この隧道によってどれだけ便利になったか
工事費やその他などである。文面は当時の岩手県知事、石黒英彦のもの。

雄鹿戸隧道の坑門を望む。
入り口は自然石を四角に切り出しコンクリートを繋ぎにして積み上げた物であり
昭和初期相応の面構えとなっている。
ここまで手を込んで作られた現役隧道は岩手県内で恐らくこの雄鹿戸が最後であろう
(ちなみに知る限りでは県内で2番目に古い現役隧道である)

坑門の扁額部。この扁額は前途の岩手県知事、石黒英彦直筆の物であり
扁額の片隅に「英彦」の文字が残されている。
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